自由の果実

kidoの作品

【自由の果実】

 

 

こんにちは! kidoです。

今回の作品は『自由』をテーマに昔書いたものです。

 

皆さんにとって、『自由』とは何でしょうか?

 

日本国憲法でもこの自由権として、謳われていますよね……

学問の自由や、住居・移転・職業選択の自由等

そういった意味でも、昔に比べて明らかに自由な社会になっているはずです。

 

しかし、本当にこの『自由』とは、人を幸せに導いてくれるものなのでしょうか?

『自由=幸せ』?

 

それなら何故、日本の自殺率は昔よりも増加してきているのか?

疑問も感じずにはいられません。

 

そんな事を考えながら書いた作品です。

心に何か響くものがあれば幸いです。

 

 

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自由の果実

 

「あんたが言うてることはただの綺麗事や! そんなドラマみたいな生き方できる訳ない! それにあんた、旅から帰ってどうして生活していくつもりなんよ? 婆さんのことはどうするの? ただでさえ苦労した人や! 旦那、息子に先立たれ、その上あんたまでそんな生き方していたら、ええ笑い者や! こんな田舎ではすぐ噂は広まるし」

 鬼の形相で母親が私を叱りつけている。私は反論したいが口が上手く回らない。

 私は午前六時二〇分、昨夜セットしておいた目覚まし時計のけたたましい音で目覚めた。悪い夢を見た。そのせいか頭が少し痛い。

 あの日、私は母と喧嘩した。母に「仕事辞める」と告げたことがきっかけだった。

 私は今も地方公務員として地元の田舎で働いている。

 そんな私は過去に自分の夢を実現させるために仕事を辞める決意をしたことがあった。

 夢というのは世界放浪の旅に出ることだ。

 この夢を抱いたのはいつであったろうか? 

 中学の時、塾の先生で世界放浪に出た先生の話を聞いたから? 

 ある冒険家の本を読んだから? 

 はっきりした理由はわからないが、いつしか自分の夢として、はっきり自覚するようになっていた。

 そして、私は夢を実現させるために自立心を持った。

 働き出してからは一人暮らしをし、貯金をした。

「自分の力で築き上げた財産で自分のしたいことをして何が悪い」

 つまり、自由を主張した。勝手ではない。自己責任のある自由だ。

 少なくとも私はそう思っていた。

 しかし、その夢も結局親の反対で諦めてしまった。

 親の反対で諦めるようなら所詮その程度の夢であったのだと解釈し、自分を納得させたが、やはり今も心残りはある。

 そんな昔のことをベッドの上で思い起こしていた。

 私は起床し、テレビをつけ、やかんに火をかける。

 ソファーに腰を下ろし、お湯が沸くのを待つ。

 何気にテレビを眺めると、離婚問題、就職問題、自殺問題、様々な社会問題が報道されている。

 
 その時、私はふと、『自由』という言葉が頭に浮かんだ。

 私も強く求めていた自由。

 いや、求めているというより、我々世代は先天的に自由のある社会に生まれたのだ。どのような生き方もできる自由が……

 しかし、私はその自由が人を苦しめているのではないか? 

 そう考えた。

 今の日本、特に若者は自由に苦しめられている気がする。

 戦後の世の中、日本人はモノがある世の中が幸せだと信じて、モノ作りに執着し、モノを求めて全力で生きた。

 ほとんどの人がこの同じ目的に向かって生き、生きる目的がクリアであった。

 それが今や経済的に豊かになり、全てのモノが十分に揃った現代に生まれた若者達は、自由であるがゆえに、生き方や自分の存在意義のようなものを見出せなくなり苦しんでいるのである。

 生きる目的がクリアでないのだ。

 これこそ『自由が人を苦しめる』という現象ではないかと考えた。

 これは今テレビで報道されている社会問題にも通じることだと考えた。

 例えば、この就職問題。私が求人情報を見る限りでは、正社員を募集している会社はたくさんある。

 それにも関わらず、この就職できない若者は明らかに職を寄り好んでいるに違いない。

 自由が創りだす状況である。

 離婚の増加問題もそうである。

 昔の女性は、生きるために男の所得に頼るしかなかったから離婚を我慢した。

 しかし、今や女性は、生き方の自由を獲得したから離婚も簡単にできる。

 まさに、これらは自由が創り出した状況と言える。

 やかんの鳴る音が聞こえる。
 私はコーヒーにお湯を注ぎ、コップ片手にベランダへ出た。

 コーヒーを一口啜り煙草に火をつける。煙を大きく吸って吐き出す。

 モクモクと青空を漂う煙はまた自由を回想させ呟く。

「人は不自由であるとその不自由の中で喜び、楽しみを見出そうとするが、自由があるとそれゆえに不自由から逃げることも容易、離婚も増えるわけだ……」

 煙草を灰皿に揉み消す。

 その時、私の頭にまた一つの問題が浮かび上がる。

 果たして自由が不自由よりも幸せな状況といえるのだろうか?

 一般的に自由とは選択肢が多いこと、不自由とは選択肢が限られていることと考えられる。

 そう考えると自由とは可能性が無限大に広がる素晴らしいものに思える。

 しかし、自由があると迷いが生じ、迷いは人を混乱させる。

 不自由は決断を余儀なくさせ、決断は人を前向きに生きさせる。

 つまり、自由と不自由とは単なる状況に過ぎないのであり、幸福感とは全く別ではないかと考えた。

 では、我々人間はどうすればこの自由という状況を有効活用することができるのだろうか? 

 有効活用すれば間違いなく素晴らしいものとなるこの状況。

 一方、間違えれば自由という迷いに飲み込まれ、人を自殺にまで追い込むこの状況。

 私は自由を使いこなすには総合的な人間力が必要だと考える。

 様々な人生経験を積み重ねる中で、社会とは? 人間とは? それを見通す力。

 自分の中で揺るがない人生哲学を創りだす力。

 それらが備わった人間でないと自由という崇高な状況を使うことは不可能なのだ。

 なんと神々しい……

 自由とは神が与えた禁断の果実のようなものであろうか……

 私は肌寒さを感じ、部屋の中へ戻っていく。

 

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